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2008年 12月 11日
前に書いたかもしれないけれど、
(このブログのタイトルは、 「前に書いたかもしれないけれど」にしようかな) 一度、ある作家の方の手書き生原稿を、 編集者の方が売却するということがあって、 それが明るみに出たことがありました。 それに対して、 吉本隆明さんと、 娘さんのよしもとばななさんが、 メディアは違うのですが、 自らの考えを発表するということがあって、 その意見の内容は、 正反対のものでした。 僕は、このことをよく思い出すんです。 自分自身の、意見がどうだとか、 どちらが正しい、 という話ではなくて、 吉本隆明さんにしても、 よしもとばななさんにしても、 僕たちの日常の会話にもよく登場してきて、 「吉本隆明さんも書いてるけどー」 「ばななさんのコメントでね、」 というふうに、 ちょっとした「印籠」のように、 使われたり、使ってしまうことがある。 でも、 正しい事なんて、 誰にもわからないのだ。 先ほど、 例に出したお二人にしても、 そういうことは、 重々承知で、 だからこそ、 「私」 の考えを、提出している。 受け手の側に、 「印籠」を欲しがる怠惰なこころが潜んでいるのだ。 注意しよう。 でも、 「人の考え方はそれぞれ、違う」 とすべてのことを、考えてしまうことも、 最善策ではなきような気が最近する。 あらゆるものに対して、 「賞賛的な気分と批判的な態度」 を持っておきたいと、 最近遊びのようにトレーニングしている。 例えば、 「自分」という、人に対しても、 「何やってんだよー」 という見方と、 「なかなか、うまく、やってるよ」 という両面をみてあげたいと思うのだ。 ちょっと似た感じで、 「人それぞれの部分もあるけれど、 もしかしたら、 多くの人にとって、 こちらがベターなのかもね・・・」 という部分まで、 しぼり出せたらと思う。 今までは、 「それぞれだから」 で思考も言語も止まっていたのかもしれない。 「多くの人」 の中には、 自分も含まれているし、 「自分がうれしい」 と、 「誰かもうれしいことがおおい」 というのが、僕の基本的態度ではありますけれど。
by missei57
| 2008-12-11 00:00
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